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2010'05.03 (Mon)

未来撮影

「一枚絵で書いてみm@ster」第四回 参加作品です

※780行

※すこしファンタジー成分が含まれています

*****

【More】

どうしても王子に会いたかった人魚は、対価を払って陸にあがりました
姿を変え、声を失い、けれど王子には気づいてもらえません

それでも人魚は幸福でした
たった一目、王子の姿を見られただけで、幸せだったのです

自らの死を受け入れた人魚は、元の海へと帰るつもりでした
オレンジ色の海の中から、ツインテールの女の子を見かけるまでは――




*****



 老人ホームでの慰問ライブを終えたやよいは、あちこちの部屋に顔を出して、挨拶まわりを
していた。やよいの何倍も年を重ねた人たちが、やよいに向かって次々と言葉をかけてくる。
ある人は杖をつきながら、ある人は車椅子の上から。

 その老人ホームを訪れにきたのは、二人組のアイドルだった。先月デュオでデビューしたん
ですよと、彼女たちのプロデューサーは述べる。拙いながらも、華やかなステージを贈られた
観客は、次々と感想を述べた。
『あの子は筋が良いね』『実に見事なもんだ』『そりゃプロの卵だもの』『歌に気品があるわ』
 もちろん、やよいも褒められた。
『元気な子だ』『なんたって元気がいいね』『あの元気がいい』『若さの塊だよ、羨ましいねえ』

 すっかり身体の小さくなったお婆さんが、車椅子からやよいを見上げて言う。

『この子の元気にあてられちゃ、年が若返るどころか、天国からでも生き返ってこれそうだね』

 そりゃあ違いないわ、俺も生き返らせて欲しいなと、周囲が口々に囃したてた。

「えへへっ。ありがとうございまーす! またお会いしましょーっ!」

 アクシデントさえも笑いに繋げるやよいのステージは、いろんな意味で大いに盛り上がった。
事務所に戻ったら、プロデューサーと三人でミーティングだ。家に帰ったら晩ご飯を作ろう。
歩きながら、やよいは今日の献立を考え始めていた。すっかり日が暮れて、老人ホームの庭は、
一面オレンジ色の海と化している。海の中で何かがキラリと光った。やよいは足を止め、目を
細めてそちらを凝視する。

「やあ、こんにちは」

 庭にいる人影が、やよいに話しかけた。眩しい光は、その人が持つカメラに、夕日が反射して
いるせいだ。やよいは眩しさに戸惑いつつ、こんにちは!と言葉を返して近づいた。その人影も、
オレンジ色の海の中から、ゆっくりと歩を進めてくる。

 光の持ち主は、老人だった。外見は70を超えているだろうか。短い白髪に、目元に深い皺。
やよいがカメラに興味を示していると、老人は静かに口を開いた。

「これはね。……未来を撮ることができる、魔法のカメラなんだ」

 老人の手の中で、カメラは夕焼け色に燃えていた。やよいが呆けたように覗きこむ。そして
言われた言葉を反芻して、頭が意味を理解して、たまげたように両目を見開いた。

「す、す、すごいですー! みっ、未来が撮れるんですかっ!?」

 やよいは一発でカメラに釘付けになった。老人は「最新型なんだよ」と言って、すこしだけ
得意そうな表情になる。それは幼い子供が、オモチャを友達に自慢するときの顔に似ていた。

「なにせ、私は、過去と未来を無視して来た男だからね」
「か、過去と未来ですか!? タイムマシンみたいな……?」
「そう、それだ。その、タイムマシンみたいなものに乗って、やってきたのが、私だ」

 口調こそはっきりしていたが、やよいは戸惑った。ボケているのか、しっかりしているのか、
咄嗟には判断がつかない。周りには誰もいないし、もしかしたら、やよいをからかっているの
かも知れなかった。そう思われても仕方ないシチュエーションだ。老人は、少なからず緊張を
滲ませたまま、やよいをじっと伺っている。
 やよいが戸惑ったのはほんの一瞬で、すぐさま興奮の嵐に包みこまれた。

「すごーい!! すごいですね! おじいさん、ドラえもんみたいです!」
「そうだ。私には、どうしても確かめたい未来がある。それで、きみに声を掛けたのだよ」

 老人は、ありったけの勇気を振り絞った。この目で直にステージを見られただけでも、彼に
とっては奇跡のような出来事だったのだ。そのうえ何かを望んだりしたら、バチが当たるかも
しれない。それでも彼は、望まずにはいられなかった。

「このカメラで、あの……。先ほど、きみの隣で歌っていた、女の子を」
「千早さんですか?」
「――そうだ!」
「あ、わかりました! 千早さんを撮ればいいんですね?」
「ああ。……私には出来なかった。参ったよ。緊張して、手が震えてしまってね」
 
 無念と後悔の入り混じった口調だった。老人は、やよいを見る。やよいも倣って見返す。

「あの子の未来に、私が写っているのかどうか、確かめさせてくれないか?」

 老人は、カメラをそっと、やよいの手に置いた。銀縁のフレームにオレンジの光を纏わせる
カメラは、やよいにはまるで、小さな夕日のように映った。やよいは神妙にそれを受け取る。
カメラの価値は解らないけれど、それが老人にとって、とても大切なものであるらしいことは、
やよいにも伝わった。

「フィルムは一枚しか入らない。ボタンはここで、時刻合わせはここだ。……わかるね?」
「まかせてください!」

 老人は感激していた。やよいが素晴らしく素直な女の子だったからだ。この子なら、きっと、
上手くやってくれるに違いない。どうしても扱うことが出来なかった自分とは違って、有効に
使ってくれるはずだ。
 やよいは、老人の心境に気付いた様子もなく、譲られたカメラを珍しそうに眺めている。

「写真が撮れたら、見せにきてくれるかな」
「はい!」

 そうしてカメラは、やよいの所有物になった。


*****


「千早さんっ、未来を撮りましょう!!」

 カメラを持ったやよいが事務所のミーティングルームに飛び込んできて、千早は面食らった。
ほんの一時間前、一緒に老人ホームを慰問してきた矢先のことだ。

「……高槻さん。ごめんなさい。今、なんて?」
「未来です! 未来が撮れるカメラをお借りしてきました!」
「それ?」
「はい、これですよ! 時刻を合わせて、ハイ、ターッチ!ですっ!」
「ちょ、ちょっと待って。落ち着いて。突然そんなこと言われても、無理よ。
 そのカメラは一体どうしたの? どなたにお借りしてきたものなの?」
「え? えっと……」

 やよいは、あれっ?と思った。おじいさんの名を聞いていないばかりか、顔も思い出せない。
確かに見てきたはずなのに、服装すら思い出せなかった。あんなに長々と会話を交わしたのに、
覚えているのはカメラの約束だけだ。不思議そうに首をかしげているやよいの手から、カメラを
拝借した千早は、変わったポラロイドカメラねと呟いた。

「あっ、千早さん! まだ撮っちゃダメですよ!」
「ふふ。わかっているわ。ちょっと覗くだけ」

 千早は、一ヶ月前にやよいとデュオユニットでデビューしていた。
 歌とあまり関係のない仕事には、良い顔をしない千早とは対照的に、やよいはどんな仕事も
喜んで応じた。歌唱の表現では千早の方が秀でていても、コミュニケーション力に関しては、
やよいの方が千早より一歩も二歩も秀でている。
 今だってそうだ。カメラを向けられれば、すぐ笑顔を向けてくる。千早にはこれが出来ない。
ほぼ確実に、一瞬の警戒と不安を顔に出してしまう。

 その原因を深く考察するまでには至らず、千早はファインダーから視線を外した。

「それで、どうやって未来を撮るのかしら?」
「時刻合わせは、ここです。フィルムは一枚だけなんですよ」
「これで日付が進むのね。反対側に回すと――」

 やよいと千早が、二人でカメラを挟んであれこれ話していると、ミーティングルームの外が
バタバタと騒がしくなった。やよいを呼ぶ声が聴こえる。二人の担当プロデューサーの声だ。
彼は部屋に入ってくるなり、やよいの存在を確認して安堵の表情になった。

「あっ。やよい、捜したぞ。さっきの現場に、スーパーの買い物袋、忘れなかったか?」
「はわっ!? な、無いかも!? たたた大変です! プロデューサー、私のお夕飯が!!」

 今連絡が届いたんだ。プロデューサーはそう言って、手にした車のキーを鳴らす。

「車に乗って、受け取りにいこう。そのまま、今日の仕事は上がりで構わないから」
「うっうー! ありがとうございまーっす! それじゃ、千早さん、おつかれさまでーす!」
「ええ、お疲れさま。また明日ね」

 騒々しく部屋をあとにしたプロデューサーとやよいを見送ると、部屋は本来の静けさを取り
戻した。ミーティングが無くなったならば、ここに留まりつづける必要はない。千早はひとつ
背筋を伸ばすと、自主レッスンでもしようかと思考を巡らせる。その途中、やよいがカメラを
置き忘れていったのに気づいた。

「忘れていってしまったのね。明日、手渡してあげればいいかしら」

 事務所のロッカーに保管しておこうかとも思ったが、あいにく千早のロッカーは窮屈な状態
だった。少し考えた末、千早はカメラを持って帰ることに決めた。


 千早が如月家に帰宅して二時間が経過し、やよいが高槻家でカレーを盛り付けていたころ。

 千早の目の前で、事件は起こった。


*****


 次の日やよいが事務所に行くと、カメラを手にした千早が、血相を変えて駆け寄ってきた。
片手にカメラを、そしてもう片手には、昨日は無かったはずの写真を持っている。

「ごめんなさい、高槻さん!!」
「あ、写真。……撮っちゃったんですか?」
「申し訳ないと思っているわ。まさか、本当に撮れるものとは、思っていなくて……」

「大丈夫ですよ、写真が撮れてれば問題ないと思います!」と、やよいは言った。だが千早は、
何とも言い出しにくそうな顔をして、カメラの方ばかりを向いている。

「それが、その……、未来を撮ったわけではないのよ」
「え?」

 千早は、撮った写真をやよいに差し出した。シンプルな部屋が写っている。おそらく千早の
自宅だろう。写真の隅には小さく年号が印字されている。今より10年近く昔の日付だった。
そして写真の中に、こちらを振り返っている、小さな人影がある。

「ちょっとピンボケですけど、男の子がいますね」
「高槻さんにも、見える?」
「はい。うちの下の弟くらいかな。これ、誰ですか?」

 複数の表情を顔に浮かべたのち、千早は「……秘密」とだけ呟いた。

「えー!? そんなのズルイです! それじゃ、私、カメラのおじいさんに怒られちゃいます!」
「わ、わかったわ。写真はお渡しするから。それを見せて、説明しにいくのはどうかしら。
 私も、その持ち主のおじいさんに会って、お礼が言いたいのよ」

 普段の千早に比べて、ずいぶんと明るい千早だった。正直、ここ最近で一番明るい表情では
ないだろうか。写真の謎は残ったけれど、やよいは千早の元気さに引っ張られる形で、頷いた。
失敗こそしたものの、カメラの性能は紛れも無く本物だったわけだし、半信半疑だった千早が
乗り気になってくれたのは、やよいにとっても嬉しいことだった。写真を眺めて不思議そうな
顔をしているやよいに、千早はこう教えた。

「私の、とても大切な人なの。もう、会える機会も無くなってしまったのだけれど」



 それからというもの、カメラを持ったやよいは、千早と共に老人ホームを尋ねた。けれど、
何度二人が老人ホームを訪れても、件の老人は不在だった。

「ときどきお散歩にいらしては、皆とお茶をして帰っていかれるのよ」と、施設の方は言う。

「老人ホームで生活している方では、なかったのね」
「私、あの人に、カメラ返せるんでしょうか……」
「どんな方だったの?」
「うーん、普通のおじいさんですけど。社長とも、プロデューサーとも、全然ちがう感じで」

 あの老人は未来から来たと語った。本当なのかどうかは解らない。やよいが思いつく限りの
知り合いで、彼に近いような雰囲気の男性は、ひとりも見当たらなかった。それでもやよいは、
初めて会ったはずの老人に、どこかで会ったような気がして仕方がなかった。

「本当に未来から来たのなら、高槻さんの子孫かもしれないわね」
「あ。それ、私も考えました! ドラえもんみたいですねって、お話ししたんですよ」

 だけど。やよいは思う。あの人は、やよいのお父さんとも、四人いる弟たちとも違う雰囲気
だった。家族や親類を前にした時の安心感は、会話や仕草の空気からも実感できる。仮に彼が
やよいの子孫だったとしたら、やよいはどんなに血筋が遠くたって、察せる自信があった。
 そしてあの老人から、やよいの親族らしい雰囲気は、ほとんど感じられなかったのだ。

「私は、お目に掛けられなかったけれど。遠い親類と、そんな風にお会いできたら、いいわね」

 千早が言った。やよいもカメラを手に頷く。カメラと写真は、いつ会えても渡せるように、
やよいのバッグの中で眠ることになった。


*****


 やよいが老人と再会したのは、それから更に三週間後のこと。
 事務所の近くの公園で、ハトに豆を撒いているところを、やよいが見つけた。

「あ、カメラのおじいさん!」
「久しぶりだね。一月ぶりかな」

 ベンチに座っていた老人は、やよいに隣を促す。やよいは事務所の給湯室のお茶が切れて、
買い出しに出かけていた帰り道だった。

「私、千早さんと何度も、老人ホーム、行ったんですよ?」
「ああ。聞いているよ。きみたちは、Dランクのアイドルに、なったそうだね」
「そうなんです! 昨日のオーディションに合格できたんですよ!」

 やよいはひとしきり自分と千早の話をしたあと、ハッと思いだしたように、ばつの悪い顔に
なった。約束の写真を撮れていないことを思い出したのだ。老人はカメラと写真を受け取ると、
「こんな写真を撮っていたんだね」と言って、困ったように笑った。

「次は、ちゃんとがんばります。お約束ですから」
「ああ。私も、きみたちのことを、応援しているよ」

 老人は、カメラに一枚だけフィルムを入れた。写真は大切そうにポケットにしまっていた。
やよいは、今度こそお名前を、今度こそお住まいを、と、老人に会うまでは考えていたはず
なのに、

「……あれっ??」

 老人と別れてから10歩で、その考えが、頭からすっかり抜け落ちていたことに気がついた。
そしてやっぱり、顔も姿も、まったく思い出せなくなっていることも。

(うー、なんだか、すっごくもどかしいです……)

 やよいの記憶が覚えているのは約束だけ。カメラに関する秘密の約束だけだ。やよいは早く
写真を撮ってしまおうと、バッグを抱えて駆け足で事務所に向かった。



「ただいま帰りましたー」

 買い出しの荷物と、フィルム入りのカメラを持って事務所に戻ると、千早の元気がなかった。
荷物を静かに置いたやよいが、視線だけでプロデューサーに尋ねる。やよいの視線を受けた
プロデューサーは「ご両親が仲違いしているみたいなんだ」と小さな声で言った。

「レッスンスタジオも都合がつかなくてな。今日はどこも満室なんだよ」

 ミーティングも無く、レッスンもできず、千早はひとり音楽と向かい合っている。いつもは
音量を控えているヘッドホンが、今日はかすかに音漏れしていた。やよいはなにか話しかける
きっかけを見つけられないまま、あれこれ迷ったあげく、千早の隣に座った。

 両親が喧嘩している、という状況を、やよいは経験したことがない。やよいの家は大家族で、
両親は喧嘩する子供達をいさめるか、包んでくれる大きな存在だ。やよいは六人兄弟だけれど、
千早は一人っ子だと聞いている。もしも自分以外の家族がみんな喧嘩してしまったらと思うと、
やよいは背筋がゾッとするのを感じた。そんな家には正直、帰りたくない。

 ふと、やよいの視線が手元のカメラに移った。見えない未来を、撮ることができるカメラ。
千早が未来を撮らなかったカメラだ。
 写真の男の子が、誰なのかと質問した時、千早は、やよいが今まで一度も見たことのない、
穏やかで柔らかな表情をしていた。千早にそういう表情をさせたのはカメラだ。このカメラは、
やよいには出来ないことを、やってのける力がある。それだけの魔法が掛かっている。

「あのっ、千早さん」

 やよいは反射的に、千早にカメラを差し出していた。

「新しいフィルム、入れてもらったんです!」

 傍から見ていたプロデューサーには、それが何を意味している行為なのか、わからなかった。
ヘッドホンを外した千早は、カメラを前に、真剣な表情になる。やよいと言葉を幾つか交わし、
少し迷った末に、カメラを受けとると、やがて事務所を出て行った。

「やよい、今のはなんだ?……千早、すこし元気になっていなかったか?」

 驚いた様子のプロデューサーに尋ねられても、やよいは上手く説明できなかった。そして、
最後には笑ってごまかした。カメラのことは秘密だと、老人からも、念を押されていたからだ。
やよいは秘密を守った。そして落胆を捨てた千早が、事務所に来てくれることを期待していた。
フィルムが空になったカメラと、おそらくは未来ではない写真を持って。


*****


 老人は、一月半から二月に一度、事務所の近くの公園に姿を現した。やってくるところを、
見た人はいない。老人ホームに関しても、それは同じだった。彼は思い立ったように、ふっと
景色の中から現れて、景色の中に同化するように居なくなるのだ。
 それはまるで、影に似ていた。陽が昇ればどこからともなく現れ、沈めば消えてしまう存在。
老人は影であり、海を漂う一匹の魚だった。影という姿でありながら、撮れない写真を求めて
泳ぎつづけている。やよいに半ば無理やりカメラを託し、それを目印にこの場所を訪れる。

 日が沈んでいく。公園におかれた遊具が、一斉に茜色へと染まりだす。子供たちは母親や
上の兄弟に手を引かれ、おのおの夕飯の匂いがする家へと帰っていく。ベンチに座った老人は、
しばらくそれらを眺め、こちらに向かってくる足音を待っていた。

「こんにちは、おじいさん!」

 やよいは決まって、すこし申し訳なさそうな顔をして、カメラと写真を持ってやってきた。
老人は「難しいことだから、出来なくても気にしないように」と、やよいに話しかけ、新しい
フィルムをカメラに入れると、撮影された写真を、やよいと共に眺めた。

「やんちゃそうな子供だ」
「かわいい男の子ですね」

 写真の品評会をする時、撮影者はいつもその場にいない。老人は、敢えて避けているよう
だった。老人曰く「緊張して息が吸えない」「言葉が発せられなくなる」「声すら出てこない」
からだと言う。その表現がおかしくて、やよいは、いつか二人を会わせたくて仕方がない。

 話題はそのうち、やよいと千早の近況に移る。カメラのことを除けば、二人の仕事はとても
順調だと言うこと。難しいオーディションに、一つ合格したこと。あんまりやよいがカメラを
弄っているので、プロデューサーはやよいがカメラマンを目指しているのかと勘違いしたこと。
不意にカメラを向けられても、千早がやっと笑えるようになったこと。

「千早さんの、お父さんとお母さんは……、別れて暮らすことになったんです」

 老人は、黙ってやよいの言葉を聞いていた。

 どん底まで落ち込んでいた千早を救ったのは、プロデューサーと、やよいの存在と、そして
カメラが千早に見せた写真だった。あれから千早は三度、やよいからカメラを受け取っている。
両親の諍いが酷過ぎて、家に帰れなかった夜も、その亀裂が修復不可能なまでに広がった日も、
千早はカメラと、カメラが写し出すであろう写真を盾に、家の門をくぐった。

 やよいは何度も、未来を撮ろうとチャレンジしていた。けれど、フィルムがある時に限って、
それは素直に叶わなかった。家の件で傷つき、落ち込んでいる千早を前にすると、どうしても
目的がずれてしまうのだ。
 千早の身に悪いことがふりかかるのは、カメラが元凶なんじゃないか、と思ったこともあった。
やよいは、その考えを打ち消している。やよいが思う限り、老人から悪意は感じられなかった
からだ。本来の目的は未だ果たせていないけれど、少なくともカメラは、良い働きをしている。
それは老人とやよいの共通認識でもあり、けして間違った使い方だとは思っていなかった。

「あの子が元気をなくしていたら、渡してあげるといいよ。勿論きみもね」

 それを聞いてやよいは安堵した。やよいはいつも元気だし、落ち込むことも少ない。環境が
落ち着いて、千早が元気になったら、その時はカメラもきちんと本来の目的を果たせるはずだ。
最近の千早は、しがらみを振り切って真面目に音楽活動に取り組んでいる。誰にも遠慮せずに
夢を語れるようになったからだ。

「あの子の夢は、海外に渡ることだったね。きみの夢は何かな?」
「……私の夢、ですか?」

 一瞬、やよいは言葉に詰まった。
 やよいは、みんなで歌ったりダンスしたりするのが好きでアイドルになった。夢と言っても、
具体的な夢はない。家族のみんなが仲良く楽しく元気に暮らせていれば、それで幸せだった。
お金が無くて苦労するのは困るけど、それを心底嫌っている訳じゃない。やよいがステージに
立つのは家族のためだ。やよいも、応援してくれる家族がいるから歌うことができた。

 そこまで考えて、やよいはひとつの結論にたどり着く。

「うーんと。私は、自分のためじゃなくて、誰かのためにアイドルをやってるんだと思います」
「ほう?」
「家族とか、事務所のみんなとか。私が好きな人たちが、笑ってくれてればいいかなーって!」
「そうか。それはとっても、素敵な夢だね」

 それが現時点における、やよいが自分で引き出せた、夢の形だった。


*****


 やよいが千早と仕事をするようになってから、季節は三つ変わった。やよいはその間ずっと、
夢の形を模索し続けていた。アイドルの仕事は大変だけど楽しい。家族も喜んでくれている。
けれど、それがやよいの憧れる「プロの仕事」かというと、それもなんだか違う気がしていた。
もっと大きな夢を掲げて、ビッグになるのがプロな気がするのだ。今のやよいは売れっ子では
あれど、ここが自分なりの夢のゴールだとは思えなかった。
 やよいと千早のプロデューサーも、プロを目指している。「プロには程遠いんだ」と前置き
してから、彼はやよいに言い聞かせた。

「やよいと千早の夢をかなえるのが、俺の大事な仕事なんだよ」

 そう言われても、やよいは具体的な夢を挙げられない。ならばアイドルのプロって何だろう。
やよいは首を傾げる。ダンスのプロ、ビジュアルのプロ、そこまで順番に考えて、千早の顔が
浮かんだ。
 千早はもう、先を考えて動き始めている。本当に上手い歌が、どういうものなのか、何処に
あるのか、はるか先の世界を見始めている。千早の隣で歌っているやよいにも、千早が目指す
世界がどういった世界なのかは、おぼろげに見えはじめていた。
 それは、千早の隣にいるやよいだからこそ、嫌でも見えてしまう世界だった。

 その世界を考えると、やよいの背にはいつも見えない震えが走った。若手アイドルにしては
異例のスピードでランクを駆けあがってきた、やよいと千早のデュオは、同期にデビューした
アイドルの中では頭一つ抜けた結果を叩きだしている。それは、日本を足元に捉えていれば、
見事な成功と言えるだろう。けれど、千早はそれよりも遥か先を見はじめていた。会話の中に
「海外」という単語が含まれることが多くなったのは、ごく最近の流れだ。



 千早の未来に関する会話は、すでに以前のような漠然とした憧れ程度ではなくなっている。
具体的なプランが幾つも挙げられ、プロデューサーの机の上には、横文字の書類が散らかり、
小鳥さんや高木社長が、真剣な顔でその相談に加わることが多くなった。

(千早さんには、未来が見えてるんだ……)

 飛び交う話題が難しくて、入っていけないやよいでも、それは理解できた。見えないものを
手にいれるのは難しい。しかし夢が具体的になるほど、ビジョンが固まれば固まるほど、夢を
掴むことは次第に容易になっていく。年月をかけられるのならば尚更だ。

 千早が夢の形を具体的にするほど、やよいは夢の形を捉えきれなくなりつつあった。日本で
さえ広大なのに、海の向こうだなんてイメージの欠片も湧かない。やよいは飛行機に乗って、
海外に渡るイメージさえ浮かばなかった。第一そんなに離れたら家族に会うことさえできない。
そんなのは困る。やよいは家族が大好きだからだ。大好きな家族と離れるのは嫌だった。

 そこでやよいは、思考を止める。

(あれ……?)

 やよいは、困っていた。確かに一瞬、困ったのだ。困る必要なんて無いはずだった。家族と
離れる理由なんてないのだから。
 いつも天秤は、やよいと家族を同じ皿に乗せていた。それでもやよいは、天秤の反対側に、
家族がいる気がしたのだ。変だと思った。やよいは、ずっと家族を一番大切に思ってここまで
来たのだから。わざわざ家族とやよいを分けて考える必要なんて、どこにも無かったはずだ。

 でも。やよいは自分のバッグを抱いたまま考える。じゃあ、もし千早さんが海外に行ったら?

 やよいの思考は、当の本人からの声に中断された。プロデューサーの机の方角から、千早が
やよいの名を呼んでいる。いつもの笑顔を浮かべるのに、いつもより時間のかかったやよいは、
いつものように明るく駆けて行って、そこで初めて、それらを目にした。

「……高槻さんに、とても大事な相談があるの」

 プロデューサーの机の上には、飛行機が表紙のパンフレットが広がっている。


*****


 「アメリカに行きたい」という千早の夢は、今まで何度も聞いてきたことだから、やよいは
驚かなかった。千早はそういう考えを持って、今までのステージに取り組んできている。

 けれど千早は、もっと大きな意味を込めて、やよいに相談を持ちかけた。

「私と一緒に、アメリカに来て欲しいの」

 それはやよいにとって、予想外の提案だった。真っ先に家族の顔が浮かんで、有り得ないと
頭では否定しようとする。すると、言いようのない悲しさが、やよいを襲った。千早とデュオ
ユニットを組んで10ヶ月。信じられないスピードで、時は流れた。やよいを囲む世界が色を
変えて、めまぐるしく変化しつづけていた。変化の果てで、やよいは選択を迫られている。

「やよいの気持ちを、優先させたいんだ」と、プロデューサーは言った。彼はずっとやよいと
千早の面倒を見てきている。二人が日本でどれだけの成果を出してきたかも理解しているし、
千早が渡米を望むことも、少なからず古くから理解してきていた。ただ、やよいの意思は未だ
汲んでいない。やよいが嫌だと言えば、それを重んじるつもりでいた。

「家族と離れることになる。勿論、ずっとではないけれど。一日二日でもないんだ」
「高槻さんが望むなら、私は、あなたと海の外を見てみたいと思っているの」

 莫大過ぎるプレッシャーだった。やよいはここまではっきりと、家族と自分を天秤に掛けた
ことはない。やよいはいつも家族を一番に優先させ、どんなに大変でも家族が笑ってくれれば
いいと思ってきた。千早は夢を決めている。そしてやよいに一緒に行こうと言ってくれている。

『家族がいるから』『弟たちも小さいし』『うちは貧乏だし』やよいの頭に、いろんな言葉が
浮かんでは消える。それは全て否定を前提とする言葉で、千早の誘いを断るための言葉だった。
やよいはそれを口に出せなかった。ここまで昇ってきたアイドルのやよいが制止する。
 千早の夢はやよいの夢だった。

「……あ、……あの、すぐには……今日は、考えさせてくださいっ!」

 やよいは背を向けて逃げだした。階段を降りずに駆け上る。事務所の屋上には誰もいなくて、
青一色の空がやよいを迎えた。背中で扉を閉めると、バッグを抱えたままその場に座り込む。

 消去法で言えば、やよいの選択肢は決まり切っていた。日本に残ってアイドルを続けるのだ。
そうすれば、家族と離れることもない。千早とは離れることになるけれど、だからと言って、
それで終わりなわけではないのだから。千早は海外で、自分は国内で、活動を続ければいい。
プロデューサーも多分解ってくれるだろう。普通に考えても、それが一番無難な選択だった。

 けれどやよいは10ヶ月も、千早の隣に座ってきた。その歌を知ったやよいが、アイドルの
やよいが、プロの天井を見てみたいと囁く。やよいはそれを抑え込む。抑え込もうとした事に
大きく動揺した。天秤の皿は、大きく左右に揺らいでいる。やよいは、その中央で、どちらに
乗るか迷い続けている。

 やよいはバッグを抱き締めた。カチャ、と小さな音がして、中のカメラが存在を主張する。
千早の両親が別れて以来、そういえばカメラにはフィルムが入りっぱなしだった。いつ悲しい
ことが起きるかわからないからと、やよいは色々な理由をつけて、未来を撮らずにいたのだ。

 そう決めたころから、千早が海外への憧れを確実なものにし始めたころから、やよいは不安
だった。やよいの不安はカメラを遠ざけた。ほんの少し先の未来を覗くことを、怖いと思った。
バッグの中から上を向くカメラが、やよいの顔を捉えている。

 やよいはカメラを取り出すと、震える指先で時刻を合わせていく。三年後が二年後になり、
二年後が一年後になり、一年後が半年後になり、三ヶ月後で日付を止めた。ファインダーを覗く。
四角い視界が全て、空の青で埋まる。

「……あっ」

 ファインダーの中の青に、いないはずの千早が映って。
 やよいの指がシャッターボタンを押した。


*****


 老人が公園のベンチに現れても、やよいはもう驚いたりしなかった。いつも通りと違うのは、
今日はやよいが写真を撮ってきたことと、やよいが先にベンチに座って老人を待っていたこと。
 少し元気のないやよいを確認して、老人は隣に腰を降ろした。

「おじいさん、私、未来を撮ってきたんです」
「本当かい!?」

 やよいは頷き、老人に写真を差し出す。初めてやよいがカメラを渡された時、老人は自分が
写っているかどうかを知りたがっていた。それは叶わなかった。写真の中に写っているのは、
歌を歌う千早と、見上げるやよいの姿だ。

 写真を目にした老人は、ほうと安堵のため息をつき、明るい調子でやよいに声をかけた。

「ああ、良かった。ここに、私は写っていない。ごらん、ここに居るのは、きみだ」
「は、はい。写っていません。……さびしい写真です」
「寂しい?」
「千早さんが、一人で歌ってます。船はボロボロで、なんだか、世界にひとりぼっちみたい」
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「きみが、ここに写っているじゃないか」
「あいだに海があります。千早さんと私は、いっしょには歌えないみたいです」

 老人は、写真の日付を確認した。そう遠くない未来だ。数十日後には迎えてしまうだろう。
その頃にはもう、飛行機が空を飛ぶのかもしれない。いや、飛ぶのだ。プロデューサーの机を
見てきた、やよいは知っている。あれが海の向こうに関係する書類であることも。千早を受け
入れるための手続きであることも。やよいは海を渡ることができない。目の前の未来の写真は、
見事に言い当てている。千早はアメリカに飛び立ち、やよいは日本に置いていかれるのだ。

「写真を、よく見てごらん」

 やよいは素直に従った。すっかり周囲が変わった世界で、千早が歌っている。それが全てだ。
海を挟んで、こちら側に残されたやよいが、手の届かない場所から、歌う千早を見上げている。

「こんなに周りが変わっても、あの子の側には、必ずきみが居るみたいだね。
 あの子がひとりぼっちになるのなら、きみはここに写っていないんじゃないかな」
「……あっ……!?」

 やよいは驚いた。一分前は酷い写真だと思っていたのに。呆気に取られているやよいを隣に、
老人は、穏やかに微笑んでいる。やよいは、堰を切ったように話しだした。
 千早の夢のこと。自分の家族のこと。家族を置いていきたくないこと。夢は捨てたくないこと。

「私、千早さんと一緒に歌いたいです。でも、家族のことも大好きなんです」

 やよいの言葉に、相槌を打っていた老人が、やがてゆっくりと口を開く。

「たとえば、この……中央の女の子がね。
 “きみのために、海外行きを我慢する”と言ったら、どうする?」

 そうすれば、二人で一緒に歌えるよ。老人は言った。やよいが猛スピードで首を横に振る。

「そっ、そっ、それは絶対ダメです! ダメに決まってます!」
「どうして?」
「千早さんは海外で歌うのが夢だったんだから! 私のこと気にして諦めちゃいけません!」
「でも。きみは今、家族のことを気にして、自分の夢を我慢しようとしている」
「……あ、あれ……あれ……?」

 やよいは絶句した。

「私は、きみの弟ではないけれども。姉にそう言われたら、やっぱり寂しいな。
 私も、家族のことが、大好きだからね」

 やよいの隣で、老人は写真を眺めている。今までの写真も、今日の写真も。千早が撮った
写真を眺める老人の両目は、とてもとても優しかった。やよいはそれを見て、写真を撮って
きたときの、千早の柔らかな表情を思い出していた。

「……おじいさんは、誰なんですか?」

 今更のように、やよいが尋ねても、老人はもう、曖昧にごまかしたりはしなかった。

 ――死者だよ。老人の言葉は二人の間にすとんと落ちる。

 やよいは、自分が思っていたより驚いていないことに気付いた。こんなに不思議なカメラを
持ち歩いているくらいだもの。神様なんだと言われたって、信じてしまうかもしれない。

「私のことを、ちっとも話していなかったね」

 老人は、やよいに自分の話をすることに決めた。



*****



どうしても王子に会いたかった人魚は、対価を払って陸にあがりました
姿を変え、声を失い、けれど王子には気づいてもらえません




*****



「私は、八年前に、交通事故に遭ってね。本当はもう、この世界にはいないんだよ。
 ここではない国から、――天国という国から、きたんだ」

 こんなことを話して、信じるものだろうか。老人は少し躊躇していた。やよいはと言えば、
やっぱり一筋縄には納得がいかない顔をして、両手で頭を抱えたまま、うんうん唸っている。

「えっと。おじいさんは、天国から来て、カメラを持って、写真を撮りに……」
「そういう事だ。でも、あまり頑張って、覚える必要はないよ」
「そうです! 私、おじいさんと別れると、おじいさんのこと、忘れちゃうんですよ!」
「私も、あまり覚えていない。実際、きみと何を話してきたのか、忘れてしまうんだ。
 ただ、カメラを預けたことは、覚えている。それで、海を渡って、こちら側に来るんだ」

 老人は、それを“海”と言った。こちら側の国と、やよいがまだ見たことのない国。二つの
国は、暗くて深い海によって、広く遠く分断されているのだと言う。

「飛行機で簡単に行き来できないくらい、遠い世界なんだよ」

 不思議な会話だった。間にカメラのやりとりが無ければ、二人は再会の約束すら忘れていた
だろう。道ですれ違っても、互いのことを認識できなかったかもしれない。やよいは老人から
カメラを渡されたことで、老人はカメラを託していたことで、曖昧な記憶しか頭に残せずとも、
二人は再会を繰り返すことができた。
 老人は、どうせ泡に溶けて消えてしまう言葉であることを認識しながら、訥々と語った。

「私には、音楽の好きな姉が居てね。その子がある日、デビューすることになったんだよ。
 嬉しかった。姉は歌が上手だから。でも不安だった。私はこうして亡くなっているから」

 老人は言う。――事故に遭わないかどうかだけが、ずっとずっと気がかりだったんだよ。

「だから、千早さんの写真を、撮ってきて欲しかったんですね」
「もしも私が写真に写ったら、そこはきっと、ここではない国だからね」

 やよいは、天国がどんな場所なのか尋ねた。すぐに行くのかい?と尋ねられて、慌てて首を
横に振る。老人も、それが良いよと応じた。

「天国に行くと、姿が逆転するんだ。長生きできた人ほど、若返ると言えばいいのかな。
 私は、ほら、ごらんの通りだ。私を知っている人がいても、誰にも気づいては貰えない」
「でも、おじいさん、ハンサムですよ」
「そうかい?」
「はい! お姉さん似だと思います!」

 そんなことを言われたのは初めてだと、老人は笑う。その表情は、確かに姉に似ていた。



 やよいは、務めを果たしたカメラを老人に返した。老人はもう、自分の国へ帰るのだと言う。

「おじいさん。あの、なにか約束をしませんか?」
「約束?」
「はい! 私と離れて、お話ししたことを忘れても、カメラが無くても、また会える約束!」
「そうだなあ……なにが、良いだろうか」

 やよいは期待した目で老人を見上げている。これから海を渡る老人には、覚えていられるか
どうか、自信がなかった。戻った時はカメラが手元に無くて、それでやっと思いだすのだ。

「私、一度でいいから、千早さんに会わせてあげたかったんですよ」
「老人ホームで、一度会っているよ。うんとうんと後ろの席だったけれどね」
「おじいさんが、ライブ会場に来られたら、良かったんですけど……」
「声が出せないんだ。言葉も掛けられなかった。それでも私は、幸せだったよ。
 姉が撮る写真は、いつも私の写真ばかりだったからね」

 もうそろそろ、他の相手を撮りたくなっても良いと思うんだよと、老人はやよいに語った。

「それじゃあ、おじいさん。約束をしましょう!」

 やよいは先の未来の約束をした。それは、やよいが夢の形を確定させることを意味していた。
カメラと写真を手にした老人は、忘れないように努力はしてみるよと言って、ひとつ頷いた。

 その日はじめて老人は、やよいより先に帰っていった。


*****


 やよいは、公園でベンチに座っているところを、千早に発見された。その手にカメラは無く、
誰と話していたのかも、何を約束していたのかも、記憶が曖昧だった。その人と千早に関して、
とても大事な約束を交わしたような気がするのだけれど、それはやよいの記憶からするりと
抜け落ちてしまっていた。

 それでもやよいの夢の形は、その場に留まり――

「私、千早さんと一緒に歌っていたいです! 日本じゃなくても、どこでもいっしょですよ!」

 ――老人との約束は、泡となって記憶の海に消滅した。



*****



それでも人魚は幸福でした
たった一目、王子の姿を見られただけで、幸せだったのです

自らの死を受け入れた人魚は、元の海へと帰るつもりでした




*****



 三ヶ月後。

 空港のロビーで、千早はやよいとプロデューサーと一緒にいた。搭乗を一時間後に控えて、
落ちつきなくきょろきょろと辺りを見回している。その手に新品のカメラを持って。

 先程まで、やよいの家族が揃ってやよいを見送りに来ていた。次は二週間後に会えるよと、
弟達のひとりひとりに優しく言い聞かせるやよいを、千早は、少し離れたところで見ていた。

 家族で写真を撮っていたやよいが、少し羨ましかった。プロデューサーと、やよいと三人で
撮りたいと考えていた千早は、人が大勢いるロビーの中を、魚のように泳いだ。その途中ふと、
ある人物が、千早の目に止まった。

「すみません。写真を一枚撮っていただいても、よろしいですか?」


陸にあがった人魚は、王子との再会を果たしていました


「あの方に、お願いしてきたわ。高槻さん、プロデューサー。カメラの方を向いてください」


気づかない王子は、人魚ではない他の人と、楽しそうにしています
人魚はその姿を、カメラと自分の両目に焼きつけていました

カメラを構えるその手は、もう、震えたりはしませんでした



「ありがとうございます」「どうもすいません」「ありがとうございまーっす!」


人魚は王子にカメラを返すと、息を止めて海を渡りました
目を閉じればすぐ、撮ったばかりの写真は鮮明に浮かびあがりました

深く深く潜りながら、人魚は、ツインテールの女の子のことを思い出していました




*****


『空港にお見送りにきてください! 私、千早さんと、絶対一緒にいますから!』


*****



女の子との約束を果たして、海の向こうの国に辿りついた人魚は、待っていました

もうすぐ海の向こうから、ふたりぶんの歌声が届いてくる日を、じっとじっと待っていました




                                 (おしまい)
19:00  |  やよい  |  TB(0)  |  CM(14)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

一本。

やられました。
叙述トリック、というと大げさかもしれませんが、綺麗に誘導されました。
そうか、そうか。いや、なるほどそうか。
あの絵からスタートして『きちんとアイマス』している作品を書けるのはすごいなぁ、と。
その上で、千早とやよいの家庭環境の違いや夢の差を織り込んで。
とても気持ちのいいお話でした。
ハッピーエンドという表現では、まだ浅いですね。
別の国にいる老人にも、最良の結末だったのだと思います。
自分に書けない物語を拝見する機会に恵まれ、とても嬉しいです。
色々と、勉強させていただきます。
ガルシアP | 2010年05月03日(月) 22:02 | URL | コメント編集

>ガルシアPさん

ガルシアPさんから一本頂戴しました!やったー!!
投下後の一発即レス、は第一回の「スイッチ」の時と同じくらい嬉しいです。
ありがとうございます!

>あの絵からスタートして『きちんとアイマス』している作品を書けるのはすごいなぁ、と。

あの絵から逆算していく形でシナリオを考えたら、ずいぶん長編になってしまいました。
今回はおそらく参加者の皆様が、現実とは離れた、ファンタジーな作品を書いてくださる
だろうと思ったので、自分はそれに甘んじて、投下数の少なさそうな現実ジャンルで
一つ書いてみた次第です。

「前回(第三回)とは違う、「事故に遭わない千早」を書きたかった」というのと、
「デュオユニットでSランクエンドを迎えた場合の双方の進路」を書いてみたくて、
今回(第四回)はこのような作品になりました。

千早が弟を大事に想っているのと同じくらい、弟も想っていてくれたらいいなあ、という
自分の理想が入っています。
今回のSSを書くにあたって、次の作品に大変お世話になりました。

あいますみにまっど/如月千早『comme des enfants』(鳩P)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8484353

とても素敵な作品です。もし宜しければご覧になってみてください。
コメントどうもありがとうございました!
寓話 | 2010年05月03日(月) 23:53 | URL | コメント編集

拝読しましたー!

傑作揃いの藤子F不二雄氏のSF短編や、「アフター0」などが代表作の岡崎二郎氏の作品を彷彿させる内容で、非常に楽しめました!
読み手の歩測に合わせて視点を丁寧にずらしたり、設定の説明をセリフと描写に塩梅良く配置したりと、とても丁寧な下処理が随所になされていて感心しました。こういう洗練された作品を最近読んでいなかったなー、とも思いました。
Anotherアイマス・ストーリーの側面も充実してました!

自分もSFアイマス書いているので、非常に参考になり、励みなりました!
こういうことを感じるために「一枚絵で書いてみm@ster」があるんだな、とトリスケリオンP氏にも感謝しました。
力作、お見事でした!
月の輪P | 2010年05月04日(火) 03:47 | URL | コメント編集

>月の輪Pさん

ありがとうございます!藤子・F・不二雄先生は今も昔も自分の憧れの方です!

そんな大好き藤子先生の話になりますが、藤子先生はご自身の描かれる
SF作品(ドラえもん等含む)に対して、「サイエンス・フィクション」ではなく「すこし・ふしぎ」という
独自の造語をお持ちになられていました。自分はこの明快なニュアンスが大好きでして、
冒頭で「すこしファンタジー成分が――」と述べたのは、藤子先生の素敵ニュアンスに
ちょっぴり半分だけあやからせて頂いた次第です。(「S=すこし・F=ファンタジー」)

「一枚絵」は書き手さんの長所がザックリ見えてくるので、自分に足りないスキルを
学ぶのに参考にさせていただいています。同じイラストから書き始めた結果、千変万化の
作品が並ぶのが壮観ですよね。他の書き手さんから素敵な作品を頂いてばかりなので、
自分もなるべく皆様に恩返しできていけたらなーと思います。
嬉しいコメントどうもありがとうございました!
寓話 | 2010年05月04日(火) 18:56 | URL | コメント編集

拝読しました。

なんだか、心が洗われるような素敵なお話でした。

あの1枚絵からここまでやよいらしさ、千早らしさ、そしてアイマスらしさを失わない作品が、それもこんなハッピーエンドの形で見れるなんて、素敵だと思いました。
肉塊 | 2010年05月04日(火) 19:10 | URL | コメント編集

>肉塊さん

ご来訪ありがとうございます。頂戴したコメントの一言一言が素敵すぎて勿体ないくらいです。
アイマスのサブキャラの中では、かなり重たい話の部類に入っている彼を、
こんなにファンタジーにしてしまって大丈夫だろうか……(´・ω・`)という
不安もあったのですが、どうしても書きたくて書きたくて書いてしまいました。

こちらの心が洗われるような素敵なコメント、どうもありがとうございました!
寓話 | 2010年05月04日(火) 20:32 | URL | コメント編集

このお話が読めてよかった。

…なーんて素直に言いたくなる作品でした!

前にも言ったことがあるように思いますが、自分が思い描くのと同じアイマスの世界が広がっているので、いつも安心して読ませていただいています。

そして私はやっぱり、彼女たちや彼女たちを取りまくすべての人が笑顔でいられるお話が好きなようです。そして彼女たちが好きです。
彼女たちを通していつも笑顔にさせてくださる、そんなお話にいつも感謝しております。連休ももう終わりですがたっぷりエネルギーをいただきました!
grossa | 2010年05月05日(水) 04:15 | URL | コメント編集

なんだろうね、このニヤニヤ感はw

「未来の思い出」なんですね。決定論的未来。世界はかくも意思で動いている。
これから僕らが見る世界、まだ存在しない世界を垣間見る瞬間は、現実の時間軸を一度ひねった形の写像。だから「未来」に「思い出」がある。決して色褪せない、けれどもしかしたら、何かの拍子に存在しなくなってしまう仮定の座標軸の中に浮かんでいる「思い出」。
その2つにまたいだ世界を、現実と非現実を、どうバインドさせるかの着地点がすごく良い。色鮮やかで、優しくて。導入に提示したテーゼが最後どう回ってくるんだろう、と期待せずにおれない構成力、やよいの揺れ動く思い、感情、どれもがぴったりハマっている。脱帽です。

いや、単純に「やられた」と言うには、あまりにも大きすぎる。傑作!
微熱体温 | 2010年05月05日(水) 16:06 | URL | コメント編集

もっと早く読んでおけばよかった。
何も言えません。
素晴らしい作品だと思います。
弱気P | 2010年05月05日(水) 16:55 | URL | コメント編集

SSの可能性と言いますか

 創作のいいところは、自分の考えた世界を形にできることなのかもしれませんね。まだまだ若輩者なのですが、そうじーんと痛感させられました。
 本来なら千早さんとやよいさんには見えないであろう老人の正体、現れた意図。幻想と現実と少し不思議な世界。寓話さんの確かな筆致によってこうも美しく現れてくるものなのですね…。言葉の全てが魅力的で、惹きこまれて、気付けば読み終わっていて、読み終わった後にとても気持ちの良い感覚が残りました。
 過去と現実と未来。カメラのファインダで覗いた景色って確かにどこかいつも見ている世界と違って見えますよね。たった一つしかないフィルムに映った景色を一枚絵に重ねるというその発想にただただスタンディングオベーションを贈りたいと思います。
 コメントに掲載されてあった鳩Pさんの作品は本当に好きな千早さんの作品のうちの一つです。確かにこのSSにつながるものがあると思います。千早さんと弟さんのお話。素敵な作品です。
 素晴らしいSSをありがとうございました!!
小六 | 2010年05月05日(水) 19:30 | URL | コメント編集

>grossaさん

わーgrossaさんお久しぶりです!コメントありがとうございます!
制作側ではなく「純粋な読み手さん」なgrossaさんからコメントを頂けたこと、
アイマスSS書き手の端くれとして大変嬉しく思います。
読み手さんの反応ありきな制作です。自分もお客さまから沢山エネルギーを頂いております。
SSを読んでくださった方が「アイマス大好き!」って思って頂けたならば、
書き手としてこれ以上幸せなことはありません。

いつも安心してお読みできるようなSSをお見せできるように頑張ります。ありがとうございます。
ぼちぼち雪歩SSも書かなきゃ…!
寓話 | 2010年05月05日(水) 20:37 | URL | コメント編集

>微熱体温さん

コメントありがとうございます。前回につづいて第四回の作品も、
微熱体温さんからは沢山のイメージを頂戴していました。
今回は「現代世界でSSをつくる」と「写真と思い出論」です。
とりわけ後者は、コメントを頂戴した時から「素敵なイメージだなあ」と思っていて、
第四回は「写真」をキーワードに、タカシPの素敵なイラストを重ねてみました。

足場が不安定になりがちな、ファンタジー文章に、一本ぴしっと線が入ったのも
拝見した微熱さんのイメージ論が秀逸なものであったからこそ、だと思っています。
自分のほうこそ、いつも面白くてワクワクするSSをありがとうございます。
作品から頂いている高揚感を、微熱さんに少しでもお返しできていたら嬉しいです。
身に余る有り難いコメント、どうもありがとうございました!
寓話 | 2010年05月05日(水) 21:13 | URL | コメント編集

>弱気Pさん

うわああああ嬉しいコメントありがとうございます!
そのお言葉だけでもSS書き手冥利に尽きます!

第四回はもたもたしていて、肝心の提出日を一日遅刻してしまいました。
次回はもっと早く、弱気Pさんのお目に掛けられるように頑張りたい所存です。
コメントどうもありがとうございました!
寓話 | 2010年05月05日(水) 21:31 | URL | コメント編集

>小六さん

コメントありがとうございます。返信おそくなって申し訳ありません。

今回の第四回提出作品は、第三回提出作品のアンチテーゼを担っています。

第三回では、死をテーマにしていたものの、シナリオ的には前進も後退もしていない、
ただのワンシーン作品に終わってしまったことが、自分の中でずっと心残りでした。
「次回も死をテーマにして作品を提出しよう」「今度は、最初から最後まで作品を見てもらおう」と、
思ったのが、第四回作品を考えはじめたきっかけです。

タカシPさんの描かれた絵は非常に応用度が高く、どんな世界でも紡げそうな気がしました。
アイマスで「死」をテーマに扱えそうなキャラを借りて、「死」を避けられない童話をモチーフに、
自分なりに考えた、すこしファンタジーな世界を、おそるおそる形にしてみた次第です。

鳩Pさんの動画をはじめて拝見したとき、自分はなにを言ってあげたらいいのか解らず、
コメントもつけられないまま、ただただ動画に見入っていました。たくさん言ってあげたい
気持ちはあるのですが、どうしても言葉にすることができなかったのです。そのとき感じた
気持ちが、「未来撮影」の中にはたくさん入っています。

動画に対してコメントをつけられない、まさしく先に言葉を挙げてくださった弱気Pさんの
「何も言えない」という気分そのままでした。動画を見たときの感動と、感動とは違った
言葉にできない気持ちが、作品中から少しでも伝わっていたら、その中のつながりを
拾っていただけたならば、このSSを書いてみて良かったと思います。

「一枚絵」はいつも自分ひとりでは書けない作品が生まれます。おそらく絵師さんたちの
素晴らしいイラストから、合作にも等しいエネルギーを頂けるからかもしれません。今回は
イラストのタカシPさんと、動画の鳩Pさんと、(一方的にではございますが)合作させて
頂いた気持ちで書きました。お二方、ならびに読んで下さった皆様には、ただただ感謝の
気持ちでいっぱいです。本当にどうもありがとうございました!
寓話 | 2010年05月07日(金) 11:10 | URL | コメント編集

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